「思考は現実化する」のではなく、信じていることが現実化します。
ある若者が、不動産会社に営業職で就職しました。
内気で、人付き合いが苦手、理系でおとなしい若者です。
彼は、営業職には全く向いていません。
入社して1ヶ月、たちまち、社員300人中、成績は最下位。
契約を取るなんて、夢のまた夢。
自分を正当化するための言い訳をあれこれ考えては、ため息ばかり。
結局、見込みのお客さんを捕まえることすらできません。
2ヶ月が経ち、周りの目も冷ややか。
若者は、毎日、自分がクビになることを恐れています。
毎日、出社することが恐ろしくなりつつありました。
パワハラ上司の怒り

ある夜、その営業所で所長が所員みんなを連れて飲みに行きました。
その帰り道、所長は大きな声で「おい、〇〇」言いながら、若者の脇腹をボコっ!と、殴りました。
そこで、所長は「〇〇、お前、クビになるの怖がってるやろ」と言いました。
続けて、大声で、「〇〇、お前は後半年もしないうちに、確実にクビになるわ!」と叫びました。
若者は震えて、うつ向いて、半泣きになっています。
所長は続けてこう言いました。
「お前が売られへんのは、よくわかってる」「お前には売られへんわ!」「お前には期待しない!」
若者の心の中には、絶望感が立ち込めました。
続けて所長は「お前はカッコよく恥をかかないで売りたいと思ってるやろ」
「お客さんの前で、売れない営業マンやと思われるんが恐いんやろ」と言いました。
若者は、自分の心の中を完全に見透かされていることに、驚きます。
周りからすれば誰でもわかっていることなのですが、本人だけは取り繕ってバレていないと思っているのです。
所長は言います。
「営業所の売り上げが落ちると、俺のボーナスが減る」
「お前なんかが電話を取ったら、あちゃ〜、あいつ電話取りよったと泣きなくなる」
「家族の顔が目に浮かぶんや」と、・・・
でも、続けて所長は言いました。
「〇〇、それでもいいから、お前しっかり電話取れ」
「俺のボーナス減るけど、何かの縁やねんから、お前にチャンスをやる」
「クビになるまでの間、次の会社で働くための練習やと思って、必死でやってみー!」
「忘れんな、もうお前はクビになるんや、諦めろ」
会社をクビになるイメージが完成!

若者は、不思議な気持ちになります。
「もうお前はクビになるんや、諦めろ」と言われて、ハッキリとクビになるイメージが湧いたのです。
ですが、どうでしょう。
若者の気持ちはスッキリと晴れやかになりました。
それまでは、クビになることを恐れて、「クビになりたくない」「カッコ悪い」「クビにならないようになんとかしなくては」「家で嫁さんが待っている」
痛みを恐れて避けようとすればするほど、苦しかったのです。
クビになるイメージがしっかりと湧いた時、「ああ〜もうクビになることが決まってるんだ、もう悩まなくていいんだ。」と思えたのです。
すると、不思議なことに、恐れからスッキリ解放されたのです。
どうせもうここではダメなんだ、もうすぐしたら、この人たちとはお別れなんだ。
ここでどんなにカッコ悪いやつだと思われてもどうせ、もうすぐ顔をあわせることもない。
所長は言いました。
「〇〇、どうせ、どのお客様もお前を優秀なベテランの営業マンだなんて思わないよ」
「お客さんだって、お前が新人で頼りなくて、今日はハズレの営業マンを引いたなあって思うんだよ」
「それでも、お客さんは、『お前はアカンから、別の営業マンと代われ』なんて言わないよ」
「代われって、言われたら、俺が骨を拾ってやるから、安心していけ」
「お客さんだって鬼じゃない、お前が緊張して頼りなくても、誠心誠意一生懸命やれば許してくれるよ」
「緊張してダラダラ汗かいて、口が震えて、ロレツが回らなくても、契約が絶対取れなくてもいいから、思いっきりやってみろよ!」
若者は、もう、クビになることや、恥をかくことへの恐れも、何もかもが吹っ飛びました。
「この所長の好意に甘えて、やれるだけのことをしよう」
「何とかこの所長に喜んでもらえるように契約したい」
と思ったのです。
覚悟の磨き方
翌日からは、若者は目の前のお客様を契約しなければならないという重圧がなくなりました。
当然、お客様が問い合わせの電話や、来店してくださるには、会社がたくさんの広告宣伝費を使っています。
今までは、自分がお客様の相手をして契約できなければ、会社のお金を無駄にしてしまうとか、契約できない自分がカッコ悪いんじゃないかと恐れていました。
しかし今は、所長のお墨付きがあります。
お客さんの前で無様な姿を晒している。
営業したのに契約がまったく取れない。
クビになって会社を去ることになる。
若者には、そんな自分の姿が、ありありとイメージできたのです。
あれ?なんかおかしいですよね。
思考は現実化する?
若者はイメージできたとおり、クビになるのでしょうか?
彼は、クビになる自分をしっかりイメージして受け入れました。
これ以上の最悪はないと思うと安心できたのです。
失敗していいんだから、行動にブレーキがかかりません。
お客様が怒り出してもいいのだから、緊張しませんでした。
まるで、ゲームです。
ですが、一人前の営業マンになりたい、所長に喜んでほしいという熱いマインドで営業しました。
入社して6ヶ月、半期が過ぎる頃、彼の成績は、中途入社組16名の中でトップになっていたのです。
もしこれが、よくある自己啓発のアファーメーションを繰り返していたらどうなっていたと思いますか?
「私は優秀な営業マンだ」「私はトップセールスマンだ」「今年中に10億円売り上げる」などなど、
これを朝晩、強く念じながら声に出したとしたら、・・・
多分、・・・・
今日のあまり鬱病になりますね。
避けようとすれば、するほど・・・

よく、思考は現実化するから、とか言う変な理屈で、うまくいかなかった時のことを考えないようにしようとする方がいます。
あなたの思考は現実化しません。
現実化するのは、痛みを避けようとする恐れの心の方です。
お釈迦様は一切皆苦であると言いました。
つまり、生きることは苦しみそのものなのです。
だからこそ、喜びがある。楽しみがあるのです。
「捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」
痛みを避けるのではなく、この痛みに込められている恵みを見つければ、それを乗り越える意欲が湧きます。
とっとと、最悪の自分の状況を受け入れてみてください。
誰にどう思われようと、誰に何を言われようと、関係ないのです。
できないことがいっぱいある自分、大いに結構です。
事実をありのままに受け入れて、あるがままの自分を受け入れましょう。
苦しみは、「そんな自分ではいけない」という思い込みからやってきます。
他人からどう思われたっていいと思えた時、初めて、他人はあなたを受け入れてくれます。

一度きりの人生なんだから、尖って生きましょうよ。
他人から「あいつはロクでもない奴だ」って言われる人ほど、人生を謳歌してるじゃありませんか。
ちなみにこの若者って、私の20代後半のことです。