理想の上司はテクニックからは生まれない、たった3つの在り方

部下の育成には、あなたの誠実さが一番重要。

「こうすれば尊敬される」などのテクニックなんか、すぐに見透かされてしまいます。

よく、信頼されるべき、面倒を良く見る、部下を差別をしない、話をよく聞く、怒鳴らない、責任感を持つ、優しくする、一貫性があるなど、良い上司になるための理想の行動を上げるまとめサイトがあります。

皆さんは、若い頃、モテる男の10か条とか、素敵な女性になる7つの法則とか、雑誌で読んでやってみたが余計にうまくいかなかくなったなどの経験などありませんか?

もちろん、それらのノウハウやテクニックはとても大切で有効でしょう。ですが、それらが出来ているから、理想の上司として尊敬されるかというと、それだけではないようです。

この頼りない部下達を率いて自分が良い実績を上げる、と考えていたり、自分の出世のために部下をコントロールしようとしていると、本来の社会貢献や会社の業績向上から離れてしまうでしょう。

部下の立場からするとこうです。「この上司は私に対してどう感じているか?」が丸見え。

自分の出世の為に、自分に優しい言葉をかけているとか、

心の中では、能力の低い足手まといな連中だと思いながら、話を聞いているとか、

どうせ聞いたところでダメだと諦めていて、最初から答えが用意してあるのに、詳しく話を聞いてくるとか、

最初は、それで関係を構築できますが、部下を信頼していないと、部下はその思いを受け取ります。

そして、その思い通りの「信頼できない部下」へと成長してくれます。

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理想の上司?

そうなると、できない部下を大勢抱え、仕事量と責任の一切を抱え、作業を大量にこなしてくれる優秀な上司、違う意味で「理想の上司?」になるでしょう。

そういう理想の上司ではなく、部下が生き生きと働き、慕われ、尊敬される上司になるためには、ノウハウ通りに考えて行動するのではなく、自分の出世を気にするのではなく、

部下の立場を尊重する誠実さが大切なのです。

部下にミスの責任を持っていかない。

ある実話があります。

ある新事業における商業取引がありました。

その事業がどんな法律の規制を受けるのかなど、業界大手の弁護士事務所が事業計画に問題がないがないか慎重に検討し、関連企業のとの取引契約などを作っていました。

その新事業について、膨大な量の調査、法律とのすり合わせが行われ、法律上の問題はなく、すべてが順調に進んでいました。

その作成に当たった部署のリーダーはその弁護士事務所で5年間勤め、この仕事の業績いかんでようやく重役に昇進できるかどうかという、とても重要な局面を迎えていました。

つまり、下積みを経て、ここで出世できるかどうかの大一番を迎えていたわけです。

期日には充分な余裕を持って契約書は完成、3日後に、その契約書に基づいて、関連企業が集まり正式調印される時点でそれは起きました。

もちろん、優秀な弁護士だけが集まっている法律事務所ですから、互いを信頼し分業していたのですが、念のためリーダーが確認したところ、新人の部下が、毎月更新される変更された法律の小さなレポートを見落としていたのです。

なんと、その小さなレポートに書かれていた変更は、この契約書の根底を覆すほどの大きな法律変更でした。

もう間近なのに、大部分をやり直さなければならなくなりました。とてもじゃないですが、もう間に合いません。

リーダーはすぐに行動しました。

責任感?責めに任せることなど、何の意味があるのでしょう?

その部下の前で、ボスに電話をしたのです。 部下の顔は青ざめ、顔には脂汗が滲んでいました。

リーダーは、ボスにこの契約書が間に合わなくなったことを謝罪しました。事態を説明し、その理由は、・・・

「私のミスで、法律変更を見落としていて、制作した契約書の大部分が役に立たないことがわかった」と、

リーダーは、「私のミスで」といったのです。

自分の重要な昇進の局面で、長い下積みが台無しになってしまう可能性があるのにです。

「新人の部下が失敗した」とは言わなかったのです。

その時、部下は「この人のためなら命をかけて仕事をできる」と思ったそうです。

もしリーダーが、新人の部下の責任だと報告していたらどうなっていたでしょう?

部下は、何か自分を正当化する言い訳を探すのではないでしょうか?

せっかくここまで一緒に仕事をしてきた関係は崩壊し、お互いを非難しあう関係に繋がっていたのではないでしょうか?

この場合、現実に部下に大きな責任があったでしょう。

リーダー自身、部下が失敗したからだと報告していれば、ボスからどのような評価を受けたでしょうか?

モンスター上司は、自分への背信行為から生まれる

そこにあったのは事実をありのままに見て、自分の立場を心配するのではなく、顧客の満足と会社の業績向上のために何が必要かを考え、自分の本来の方針「会社の業績向上と社会に貢献する」という本来の自分の思いを欺かなかったことです。

部下の仕事を管理に落ち度があった事実をありのままに受け取り、責任の所在などを考えずに、本当に思っている通りに行動したという、自分を欺かない誠実さです。

リーダーが部下に責任を持っていけば、良い部下に恵まれなかった不幸なリーダーとして生きることになったのではないでしょうか?

自分を欺いた罪悪感は、その後も自分の不運さと、部下に欠点があることを見つけさせます。すると、その証拠が目に入るようになり、自分が出世できないのは部下に恵まれなかったからという事実を強化し、悲劇の主人公に押し上げるのです。

それはやがて、自分の人生の決定権は、他人の行動に委ねられることになり、人生のコントロールを失うことになるのです。

自分という存在もこの現実も、実は全部、自分の行動が創っているものなのです。
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人間はつい言葉を使い、現実を歪めていまいます。

言葉には現実を塗り替える力があるのです。

先ほどの話で、リーダーが心の中で自分が部下の仕事のチェックを怠ったという後悔の念が生まれた瞬間、それは完全に周りにいる人たちの心の中にも響き渡っています。

私たち人間は、日常的に言葉を使うために、この当たり前のコミュニケーションシステムを忘れてしまいがちになるのです。

何かを言っても、何も言わなくても、相手が本当に対して興味や好意を抱いているかは、充分に感じているのです。言葉で上辺だけの優しい言葉がけや、関心があるように問いかけをしても、言葉以外のにじみ出ている態度で、本当はどうでもいいと思っているなどが伝わるのです。

当然出会って最初のうちは、頭で考えた上辺だけの言葉が伝わるでしょう。しかし、何度かコミュニケーションを繰り返すうちに、腹の中の本心が言葉を使わずとも伝わって行きます。

もし、リーダーが一貫性を持たず、その場その場で指示や方針を変えたとしたら、自分を欺いていることをリーダー自身が感じ、部下も感じます。

お互いに、言葉ではこうだああだと言い訳をし合っても、根底にある現実は変わりませんが、言葉が現実を歪め、リーダーと部下はその歪んだ現実の上で本心と違う上辺だけのコミュニケーションを続けていくことになるでしょう。

これは効率的なことでしょうか?

上司が部下の仕事を自分の手柄であると表現し、自分の失敗を部下の責任に持ってえいくことも、言葉を使えばいとも簡単にできてしまいます。

そうなると、社員全員の心は会社の業績向上と社会貢献ではなく、自分の身を守る方向へと向かざるをえなくなるでしょう。使いようによって、言葉は現実を歪めるのです。

自分が心の中で何を思っているかが、すべてなのですから、そこを見たらいいんです。

部下の人材育成と理想の上司とは?

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戦国時代の武将、本多忠勝がこんなエピソードを残しています。

ある合戦が始まり、一人の足軽(兵隊)が敵を目の前にして怖くなりました。足軽はあまりの恐ろしさに、逃げ出して陣地に逃げ戻ったのです。

当然、軍機に照らせば死刑です。

しかし、本田忠勝はその足軽を罰することなく、よく働いたと褒美を与えたのです。

次の戦さ場でも、その足軽は恐ろしくなり逃げ出しました。

今度こそ、足軽は自分は死刑になると思いました。2度も逃げ出したのだから仕方がないでしょう。

しかし、本田忠勝はまたもや褒美を与えました。

そして、いよいよ3度目の戦さ場、またもや意気地のない足軽は逃げ出してしまいます。

されど、本田忠勝は、またもや褒美を与えるのです。

そして足軽の心の中に変化が起きました。こんな自分に本田忠勝さまは褒美を与えてくださる。何としてもこの人の役に立ちたい、このご恩を返したいと思うようになり、次の戦さ場からは、死に物狂いで戦うようになったのです。

本田忠勝は、何を見ていたのでしょうか? ありのままの事実をみれば、足軽を罰することは簡単ですが、彼の望みは自軍が強くなることでした。自軍が強い軍隊であると見るなら、足軽に褒美をとらせることになるでしょう。

すべては、自分のものの見方が行動をつくり、その行動が現実を創っていきます。

もし上司が、自分の部下たちは能力が低く役に立たない連中だと見るなら、部下をそのように扱うことになります。

そう見ているとしたら、優しい言葉をかけたとしても、それは自分たちをコントロールしようとして行っているだけで、本当は信頼してくれていないと伝わってしまいます。

思いは、言葉以外のあらゆる態度、雰囲気、仕草、意識していない言動、表情、など、はるかに多くのメッセージを送り、言葉以上に強いコミュニケーションを成立させるからです。

理想の上司になりたいのであれば、自分の部下を家族だとみれば、どうなるでしょう?

家族の幸せは自分の幸せでしょう。家族を守ることは自分を守ることになるでしょう。守られた部下はどのように思うでしょう?

当たり前ですが、大切に扱われたら、誰でも嬉しく思うのですから。

会社に入ったばかりの時の気持ちに誠実になる。

会社に入ったばかりの頃は、働けることに感謝し、どれくらい貢献できる存在になれるか希望に胸を膨らませていたことでしょう。

ですが、その気持ちが続く人と、続かない人がいます。続かない人になってしまう瞬間とは、自分の思いに背いた時に始まります、

それは、例えばこうです。

自分が自分で思っているほどの業績を出せなかった瞬間に、この会社からもらっている給料や待遇では、これぐらいの働きしかでしないと、事実をすり替えるのです。

本当は会社に貢献したかった自分の気持ちを欺いて、望ましい成果をあげられなかった自分を正当化しようとすると、やはり自分を正当化する証拠が目に入り出します。

つまり責任感を感じすぎることは自分にとっても、周りにとってもマイナスなのです。

これは恐ろしい病気で、一度かかってしまうと、自分の本当の気持ちに背き続けなければならなくなります。自分を牢屋に閉じ込め、自分の業績向上への貢献をできなくさせるばかりか、周りの社員にも牢屋に入ることを勧め、お互いに自分の立場を守り業績向上から遠ざかります。

上司は、責任を追及するのではなく、部下が誠実でいられるように、まず自分の初心に誠実で居続ける必要があるのです。

部下の失敗を非難している状態は、上司自らが自分で牢屋に入り、鍵を閉め、出してくれと叫んでいる状態なのです。

自分が自分に誠実であり続けることが、自分を自由でいさせてくれます。

部下は天真爛漫な子どもと同じかもしれません。

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誰でも自分流の成功体験を持っています。

優秀な成績を収めてきた経歴がある上司であればあるほど、部下ができないことを理解できません。そして、自分の成功体験でアドバイスしようとします。

私たちの脳は無限と思えるほどの情報を記憶できる一つの宇宙のようなものです。

同じ国で、同じ言語を使い、同じ習慣に身を置いていたとしても、一人一人全く違う人生経験を持っています。つまり私たちは、違う宇宙と宇宙が関わりあっているようなものなのです。

なので、自分の常識は、役には立たないのです。

もし理想の上司になりたいならば、部下を自分の思い通りにしようと思わないことです。

部下のありのままを受け入れる人こそ理想の上司に近いのではないでしょうか?

理想の上司とは、自分との違いを認め、受け入れる愛がある人です。