理不尽な上司を撃退するコミュニケーション

 

我慢してストレスが溜まるのは誰のせい?

意外と知られていないことですが、他人への対応は、自分が自分をどう扱うかと同じように行われています。

他人に対して取るコミュニケーションは、自分が自分に対して取るコミュニケーションと同じだってことなんです。

普段そんなことを考えたりしないですよね。

自分は自分なんだからコミュニケーションなんて取っていないだろ!って思いがちですが、そんなことはありません。

まず、自分が自分にコミュニケーションをとっている例をあげて説明しますね。

例えば、あなたが食器を扱う商社で、先輩と二人ペアで仕事をしていたとしましょう。

先輩がお客様である取引先から商品受注をする営業担当

あなたは、その先輩のフォローをする事務処理をする担当です。

そして、あなたが「世の中には本音と建前があって、人とうまくやっていくには、理不尽なことでも我慢してやらないといけないものだ」と、信じていたとしましょう。

先輩が受注したのを忘れていて、あなたに仕入れと発送の指示をしませんでした。

当然、いつまでたってもお客様の元に商品が届かない。

お客様が怒って電話をかけてきます。

会社にいて電話を取るのはあなた。

電話口でお客さんが怒鳴っています。

先輩が失敗したからで、自分の責任じゃないのに、お客様に怒られるという理不尽なことが起きます

あなたは我慢して、平謝り。

こんなことが、何度も起きてうんざり、仕事ができないというか滅茶苦茶なことばかりする先輩に呆れて物が言えません。

どうしてこんな先輩とペアになってしまったのか!と、運の悪さを嘆きます。

でも、これは、起こるべくして起こっているのです。

自分が自分に対して取ったコミュニケーションの結果だからです。

人間関係の魔のトライアングル、被害者、加害者、仲裁者

もし、あなたが「人とうまくやっていくとしても、理不尽なことには我慢する必要なんかない。」と思っていたなら、お客様が怒って電話をかけてきたときの気持ちは変わってくるものです。

というのは、お客様が怒ってきたとしても、理不尽でも自分が謝らなくてはいけないと思っていなければ、理不尽に自分が怒られているという選択肢そのものがないので、自分が責められていると感じることができないのです。

「目の前の相手が怒っている」「先輩の不手際で怒っている」
客様が怒っているのは滅茶苦茶な先輩に対してであって、その先輩が怒られている電話を自分が受けているだけだと感じます。

「怒鳴っている声を聞くのは不愉快だ」「私はこのお客様が納得できる対応を会社の一員としてやればいい」「どうすれば、お客様が納得するだろう」などの考えが浮かびます。
自分が謝るのではなく、会社の一員としてそのお客様をフォローすることを考えることができます。

その先輩に対応させることをお客様に伝えるとか、お客様が先輩に対してどんな気持ちを抱いているか詳しく聞いて仲良くなることもできるでしょう。

お客様と先輩の間に挟まれて責められるのではなく、自分が怒られているわけではないと感じて、いい意味で他人事として一段上から冷静に見れるのです。

そうなると、会社のために上司に報告して助けを求めるとか、上司と会社全体を巻き込んで、その状況が改善されるための機会にできます。

当然、お客様に対応するために上司を巻き込めば、上司もその滅茶苦茶な先輩に対応を考えていくことになります。

自分が理不尽なことを我慢しなくちゃいけないと信じているから、「お客様が怒鳴る=自分が怒られている」という状況を作ってしまうのです。

自分が理不尽なことを我慢しなくちゃいけないと信じていなければ、自分が怒られている不快感も感じないですみますし、対処も権限を持っている上司に譲ることができるのです。

だってそうでしょう。自分の権限がない事柄の責任を背負おうとするから、苦しむわけです。
「権限がないんだから、私に責任なんかな〜い。」「私ができることはちゃんとやっておこう。」って思えます。

つまり理不尽なことで自分が怒られていると感じるのは、「どんなに理不尽でも、お客様が怒っているんだから、お前が謝るんだ」と自分で自分に我慢を強要するというコミュニケーションを取っているわけです。

本当は自由に選べるはずです。

自分が理不尽なことを我慢する必要はないと信じていれば、「また先輩がやらかしている」「詳しくこのお客様の言い分を聞いて対応を考えよう」「私が対応できない部分は上司に伝えよう」というように、怒られている先輩とお客様の間に入らずに、冷静に自分のできることをやる立場になれるのです。

人間関係の魔のトライアングル、被害者、加害者、救済者の三角形に入らずに一段高い場所に自分の立場を確立できます。

お客様に怒られる被害者ではなく、でたらめに先輩に怒る加害者でもなく、怒っている自分の正当性を誰かにせつめ詠して理解を求めようとする救済者でもなく、会社で起きたトラブルを解決する優秀な社員であるようにと自分自身に対して指示、コミュニケーションができるのです。

こうやって誰もが、自分の信じている思い込みを元にして、自分自身にコミュニケーションを取っているわけです。

このコミュニケーションにおいては、指示する側が「自我」と呼ばれる記憶情報、従うのは本当の自分です。

「我慢しなければならない」という思い込み(自我)の指示で、本当の自分は「我慢する」という苦しみ系の感情を味わうことになります。

これが人間の構造なのです。

誰かを責めているときは、自分をも責めています。

そして、自分に対するコミュニケーションを、他人に対しても行ってしまうというです。

やっぱり「理不尽なことでも我慢してやらなければならない」と信じていると、、自分の部下に対しても、理不尽な指示をすることが普通のことになってしまいがちです。

だってそれが、それが自分に取っては当たり前のことなんだから。

 

もし上司や先輩が理不尽な指示をして来て、我慢を強要してくるとしてら、それは、その先輩も上司も、自分自身に理不尽な我慢をして苦しんでいるということなのです。

もし、そうやって、理不尽なことを強要してくる人が身の回りにいるとしましょう。

そして、あなたが冷静に、その人自身が自分を苦しめている人なのだと見れたなら、あなたがその人に対してどのようにコミュニケーションできるでしょう?

あなたが自分を大切にしていれば、あなたは大切にされます。

ここからが、一番重要なお話ですが、

もし、あなたに対して、理不尽な要求をしてくる人がいると思えるなら、それは自分自身が自分に理不尽なことを要求しているという証拠なんです。

だって、自分に理不尽な我慢を要求しなければ、相手が何をして来ても、理不尽な我慢を強要しているとは感じることができないのですから。

無茶苦茶な先輩がやった失敗で、自分が怒鳴られても、自分が理不尽な我慢を強要されていると感じることはできません。

あなたが自分自身を大切にしているなら、相手にも自分を大切に扱うようにコミュニケーションできるということなんです。

あなたがあなた自身に取っているコミュニケーションの通りに、相手にもコミュニケーションを取る。

そして周りの人も、あなたがあなた自身に取っているコミュニケーション通りにあなたを扱います。

なので、あなた自身があなたを大切にすること、あなたがあなたに対して誠実にコミュニケーションすることが、周りの人にあなたを大切に扱わせることであり、周りの人を大切にすることになるのです。

人に対してひどいことをした時、自分自身が後ろめたく感じたりしますよね。
自分を苦しめないためには、人にも嫌なことをしなければいいのです。

自分を大切にするということは、本当の自分の気持ちに誠実になるということですね。

 

ありがとうございます。
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